4月例会はコロナウィルスの影響で中止となりましたので、下記のとおり報告いたします。
なお、作品画像はこれまでの方式どおり掲載いたしました。


      2020年 3月、4月会員現況報告

  3月・4月と例会が流れました。

  記録を引っ張り出してみますと、70年近い彩雲会史上参加人数が数名と言うときでも月例会を「無し」にしたことがありません。毎月顔を合わせていたのが無くなるとなんとはなしに寂しいものです。

  彩雲会の聖地「野田コミセン」も閉鎖され、再開は大阪市の対応次第になっております。

  どこまで続くのやら、来月はなんとか・・、6月は絶対開催と行きたいものです。

 会員は基礎疾患を持つ老人(ゴメン、櫟さん 下岡さん 上田さん 田中勝つさん 田中秀さん 長曽我部さん・こうしてみると案外現役の人は多いね24%や! 彩雲会も若い・・)、(但し、伊藤インチキボーンズ師は基礎疾患無しの珍しいボディー)ばかりで、聞くと糖尿、高血圧、喘息、肺気腫のビックフォーを持つ御仁もおり、気にせず胃腸消毒用のアルコールを買いに行くと称し、混雑するスーパー参りしているとか。

 このところカシカシを趣味にしていることを感謝する日々です。

まあ、とにかく元気な姿でわいわいガヤガヤやる日が来るのを待つばかりです。

    どうぞ「アマビエ様」ご降臨ください・・・ 

● 会員現況 4月分

・村山:ミラージュVC 製作支援話し

  京都在住の“鉄っちゃん“こと、村上さんの次・次作”ミラージュVC“製作にあたり資料集めの裏話を少々。村上さんから”ミラージュVC“を作りたいけど、図面、写真などが手元に無い!と、連絡を受けて各方面へ協力要請をお願いしました。

   TSMC, 名古屋三点クラブ、彩雲会、FARCと個人的にお付き合いが有る友人へお願いしました。するとあっという間に、製作に十分な資料が集まりました。ご協力いただきました皆様にこの場をお借りしましてお礼申し上げます。これで作れると、村上さんも大変喜ばれていました。今後このような状態になった時、是非各クラブ宛に要請して下さい。もしタメラウ事が有れば、私に請求して下さい。各方面へ連絡をしますので。

  FARCの市岡さんは、皆さんも良くご存知かと想いますが、ご自分で図面も描かれますし、資料も沢山ストックされていますので心強い御仁です。直接村上さん宅へ送っていただきましたので内容は確認出来ていません、、、。

 また、名古屋三点クラブの大藪さんは、出張でオーストラリアへ行かれた時にミュージアムで撮られていて写真を提供していただきました。

  それと、皆さんも記憶に有ると想いますが“100年フアントム”Mさんからは、Europe  の友人からサイン入りで貰った分厚い洋書を貸していただきました。誰でもが認める作品を作られる人は、実機資料の整理も出来ています!

 勿論彩雲会から、編集長と私からの資料も送っています。

 第一回の近況を会員の皆さんへお知らせした所、“パンデミック”の影響で町内の全ての行事・会議が中止に成りました。例年なら卒業式・入学式・年度替わりの総会なも全て無くなりました。そこで以前作りましたF16の複座を今回作成しています。この調子だと8月には完成予定です。今年の彩雲会展に新規として出品できます。早くこの事態が終了すればよいのですが。と、山本さんから嬉しい近況報告が有りました。

皆さん今はじっと我慢して、作品の製作に取り組み“コレどうや”と披露できる作品を仕上げましょう。最後に会社言葉の“ご安全に”で閉めます。

・難波:コロナウイルス流行のため、おもちゃ病院も閉鎖され、暇を持て余している状況です。毎日TVを見るか、飛行機作りで一日を過ごしているところです。又、遠方にも出かけていません。せいぜい電車で一駅か二駅程度の外出しかしていません。

    早く流行がおさまることを願うばかりです。

    最新作は、@ PONNIER TYPE L-1  (仏)

A ANATRA DS ANASAL (露)  です

・堀田:ご無沙汰しております。脊柱管狭窄症は少しづつですが歩くことが出来る様になり   ました。暖かくなってきているのが良いかも知れません。H145の写真をおくります。   ご笑覧のほど。  (編集部註:昨年9月に発病され、現在自宅療養中)

・渡辺:どえらい事になりました、八尾市の方はいかがですか。堺市では今のところ陽性患者が出たとは聞いていません。新聞にも出ていないので、私も今年の11月には77歳の高齢になるので怖いです。彩雲会では若い方かも。

    殆ど外へは出て行きません。写真の方も撮影会や例会は3月・4月とお休みです、    どこも高齢者が多いので・・・。室内で撮れるものばかり撮っています(シャボン玉    や水滴・その他)、ソリッドもプロペラ作りをしていますが、前作はジェット機なの    で感覚が戻りません、これも写真に気を入れすぎた報いでしょうか、何時も失敗して    はやり直しています。人造木材が無くなりかけています。いま作っている分を背水の    陣と思って頑張っています。早く終結をして外に行きたいですが此処は我慢のしどこ    ろでしょう。編集長もお気をつけてお励みください。何時も本当にお世話になってお    ります。

・村上:貴重な資料有り難うございました。以前からデルタ機と思っていましたが、F102、   F106では少し大きすぎて、ミラージュVが少し小ぶりで1/32スケールでは良いの では無いかと。絵本程度の資料しかありませんでしたので無理をお願いしました。鼻曲がりのデルタ翼に挑戦してみます。(編集部から橋本さんのミラージュVc図面等送りました)

    第2信 He100塗装寸前まで進み、舞台裏を見ていただこうと思っておりましたが、持参できずにおります(3月例会が中止になったため)。その間にミラージュVの資料をいただき木取りと進み、私としては初めての2本立て作業です。コーラボデイに鼻曲がりの主翼、コーン吸入口等苦労しそうな機体です。撮り鉄も、近くの叡山電鉄と桜ぐらいでお茶を濁しています。 

・葛城:世の中コロナで大変ですね。私も糖尿があるので罹ると一巻の終わりと思って、外   出せずに頑張っています。

    近況と写真を送ります。F-100もほぼ完成しました(95%)。5月の静岡ホ   ビーショーまでにと思って進めてきたのですが中止となり残念です。もう少しで完成   ですので、次の機種選定に2ヶ月ほど考えようと思っています。今のところ金属製の   ゼロ戦52型1/20が有力です。 

・長尾:今月13日から17日まで、前立腺がんの疑いで検査入院でした。生研の施術(腰   の部位から下半身麻酔注射の後、会陰部からの組織の採取20箇所余り)の結果、尿   閉が起こり、このところ導尿管にての排尿でトホホです。

    コロナの情報収集は万全(?)ですが、製作作業は遅々として進んでおりません、   でもこれまで撮り貯めた製作途中の画像の一部をお届けします。 

・中島:皆さんコロナに負けたらアキマヘンでぇ〜。私はおうちでおとなしくやっています。  ところで、いま3〜4機いっぺんにやっています。ビーチクラフトのスターシップの図面おまへんか、どんなちっちいのでもかまわんのであったらちょーだい(編集部からちっちゃい図面を送りました)。いま木取りを始めたんがエムブラエル フェノム 1001/40)パイパーPA47パイパージェット ダイヤモンドD-ジェットです。

   ベル505はコックピット乾燥中でして、3密防ぎで5〜6機いっぺんにやったろと  思いまして始めました。時間と朴の木ははどっさりあるし、コロナ終息した最初の例会に持って行ってびっくりさせたろと思っています。

        うちの作業場の写真送りました。右から作業台、帯鋸、サンデングデスク、丸鋸盤、糸鋸盤、奥がボール盤、その横がグラインダー、塗装室はまた別で編集長にもろたコンプレッサーが活躍しています。模型も塗装しますが、私の愛車(クラウンロイヤル)買ってから、後ろは当てる、フェンダーこする、前左はブロック塀と衝突、まえうしろバンパーガッシャーンでしたが、コンプレッサーのお陰で元通りに塗装修理です。この車は、高見さん川崎さん田辺さんが鹿屋へ来たときに、お乗りいただいて鹿屋基地、佐多の海辺の料理店に行った思い出の車です。愛着があります。高見さん達が来たときに大きな車に乗ってて良かったなーと思っています。ちなみに、何時も乗っているのはホンダの軽トラ(平成4年製)です。これも自分で数回塗装しました。オイルだけは3000Km交換為ています。   ぽー 

・竹内:カミさんが逝ってようやく半年を迎えようとしております。先日、待望の私とカミ   さんのお墓が出来ました。だいたいに想像しておりました通りに出来上がりました。   春には桜が咲いて、見晴らしの良い所です。私は何時入れるのか判りませんが・・・

        先日来、少しカシカシやる気が出てきまして、一番面倒くさいエンジン部分にとり   かかっております。型を作るのが面倒でして、数個作ってみましたがシックリこなく   て、どこかで妥協しなくてはと思っております。

    例会が開かれれば参加しようと思っておりますが、コロナ様のおかげで、自宅謹慎   中です。 

・船場:令和コロナの乱・小生は外出を控え、散歩と「STAY HOME」の毎日ですが、   「時は人を待たず」で刻々と過ぎていきます。散歩の「花鳥風月」と言えば、花・3   月 ミモザ、桜、黄木香、4月 アヤメ 鳥・2月 翡翠、メジロ 3月末 ツバメ   の飛来。風・春らしくと思いきや、強風の低気圧が通過桜一部散る。月・スーパームーン 等々。 その他・2月28日朝10時過ぎ、佐藤さん情報のUS-2 7号機 新明和甲南工場から無事に出艇し、離水を見学できました。その後ビックコミック増刊号「US- 救難飛行艇開発物語1〜3巻」(月島冬二・小学館)を購入読破。第4巻は2021年1月発売予定との由。

現在は、P-38の下塗り終了。これから大変だと思います。機体は銀塗装しかないのかな? 銀塗装の秘訣は? 疑問だらけ? 取り急ぎご連絡まで。早々。 

・川崎:スピットファイアー1/501/32やっています。主翼のねじり下げが難しい、プロ   ペラをやっていたら、目の調子が悪くなりちょっと休憩です。

・山本:現在コロナウイルスの関係で、年度替わりで例年なら卒業式・入学式・年度替わり   会合等で忙しい日々が続きますがすべて無くなり暇になりました、現在F16複座機   が着々と進んでいます。

・田中(勝):厄介なことが続いていますが、いかがお過ごしでしょうか。私は今のところ   元気です。会社は周1出勤であとは自宅待機ということでもちろん外出はできないの   で、この際ですから模型作りに励んでおります。ファントムFG1ですが、ほぼ外形   は見られるようになりました。ポイントは水平尾翼ですかね。固定スロットをなんと   かでっち上げました。あと空気取り入れ口を彫り込むと俄然ジェット機らしさが出て   きますね。

・上田:おはようございます。皆様、順調に製作を進められておられるかと存じます。

    私は、何とかYak-9を形にする予定でしたが、相変わらず作業が進んでおりま   せん。この週末には尾翼と機首周りをそれらしく削って、なんとか飛行機らしくなる   かと。主翼付け根の冷却口周辺がなかなか複雑な形なので、現物合わせでパテを盛っ   てでっち上げる予定です。なかなか光が見えないじきではありますが、皆様におかれ   ましても、くれぐれもご自愛の上、健康にお過ごしなさるようにお祈り申し上げます。

・田辺:年初よりぼつぼつ始動しておりましたが、コロナで外出自粛を強いられ、ソリッド  しかやる事が無いのが幸いし製作ピッチも上がっております。エンジントラスをやっ  ていたらどうも感じが違うので写真をじっくり見直したら、中央翼が4ATは3フィ  ート短い事が判明し、その修正に一苦労しました。エンジンは櫟さんのご指導で家内  が3Dで作図し、櫟さんに3Dプリンターで出力してもらう予定です。問題の波板は  アルミ粘着テープに筋を入れる方法で試験中です。

・伊藤:お元気ですか。当方も元気でガンバッテいます。東京方面での商業活動がうまく行  ってないので、私らの末端商販売もヒマになっています。デ、時間はたっぷり有り  S-58はメインローターを残すだけで、本体は完成しています。ローター材のアルミ板をハンズに早く買いに行きたいものです。ローターブレードを朴材でとも思いますが、根元があまりにも細く弱くなるので、やはりアルミを待ちます。

:コロナの影響で外出は減りましたが、仕事はいつも通りで、まだ忙しいです。

 川崎P-1の全体を確認するためにグレーのサフを塗りました。胴体の下面形状が複雑ですが面白い形です。

 5月になったら、少し時間が出来そうです。田辺さんの奥さんの3CADのエンジンモデリングを見せて貰いました。凄い出来でした。時間が出来たらこちらで3Dプリントする予定です。

・田中(秀):ようやく夜勤があけた田中秀郎です。外出制限も関係ない介護施設で働く毎日を過ごしております。家に帰っては米軍機の地上支援機材を調べたり、以前描いたイラストなんどを取り込んだりしてます。添付したものは先に出ました世界の傑作機、に写真が出ておりましたプラウラーです。当分続くであろうコロナの流行ですが、皆様ご自愛くださいませ。                              

・西条:真面目にカシカシに励んでおります。外に出るのは6坪ばかりの畑とアルコールを買いにスーパーに行くぐらいです。カシカシは、3月はじめに、例のけったいな形のロッキードC--1たら言う、殆ど誰も知らないであろうヒコーキをでっち上げ、次作は何にしようかと考えていたら、写真マニアから「こんなん出てきた」と海保ビーチH-18の機内写真が送られてきました。担架らしきベット装備の珍しい写真です。海保のビーチH-18は以前前輪式のを作ったことがあるので「よし、尾輪式の海保ビーチを作ろう」となり、ついでに尾輪式ビーチをもう一機「富士航空」塗装でやろうと取りかかりました。

        ビーチH-18はいままで4機「JAL ANA訓練機、海保機 航空大学機」の4機作っていますので、5機、6機目のビーチになります。いつかは同一機種大量生産記録の高見元帥「F-4ファントム」の記録を抜きたいものです。

    鹿屋のぽ様から「これを使え」と次から次へと珍しいもの(ネイルの筆多数、各種    接着剤等々)が送られてきます。追々発表します。

    先日、元会員・枚方在住金子進さんから「サーフェーサー余っているから取りにお    いで」と連絡があったので、頂きに行ってきました。持病の腰膝が悪いのは変わらな    いのですが、そのほかはお元気でした。ソリットは卒業と言われ、サフェーサーや資    料を頂いてきました。エエ本(大戦機・Aero Detail多数)を頂いたので例会に持っていきます。 

・次は、山内シンクタンク殿のありがたい課外授業です、ご静聴のほどを・・・

おもしろいよ〜

・山内:近況報告かけました。添付します。

今のところ元気です!              

「くノ一」捕獲しました!

コロナがじわじわと迫りくる中、彩雲会月例会もしばらくは見送らざるを得ないことは納得ですが、「吉野の桜か野田の藤」と称され、新しいお札にも刷り込まれる予定の「野田の藤」を見逃すのは断腸の思い。が、後期高齢者一歩手前の私としても、「生き残ればいつか見ることができる!」と自分自身に言い聞かせて引き籠りに徹しております。

で、報告ですが、1月に世界の傑作機「EA-6B プラウラー」を脱稿して以後、長年放置していたロッキードP-3オライオンも初飛行以来約60年経過し、完全リタイアも間近となってきたので、一度キッチリ調べておこうと3か月間没頭しておりました。

基本的には11機のP-3の来歴(米海軍が領収してから、用途廃棄に至るまでの、部隊配属、改造等の履歴)をまとめ、年表に記入する作業ですが、1機の来歴を異動や改造ごとに書き下すと平均20行程度になります。1行書くのに1分。1機分を書き下すのに20分、それを年表(1年1シート)に記入するのに30分。P-3の生産数は合計755機、うち私が今調査の対象としているのは米海軍で使用した550機。つまり11,000行。

50X 550機=27,500分=458時間という見積もりですが、1月末から気管支炎を患い、咳とクシャミと鼻汁の処理に時間を取られるは、激しく咳込んだり、クシャミ1発で今書こうとしていた記述が一瞬に消滅して、白紙状態に。気を取り直してもう一度資料に目を凝らして想い出す必要があり、一連の作業は細切れ状態で遅れに遅れてフラストレーションの貯まること!「コロナに罹ったらこんなもんやないで〜。」「死ぬで〜。」と自分自身を慰めながら、110時間ほどのペースでコツコツと作業を継続中。おかげさまで気管支炎はどうやら卒業できました。

1月に着手してから418日までにP-3A, P-3B, P-3C, P-3C(UI), P-3C(UII)P-3C(UII.5)まで、各機から改造された派生型も含めて完了。(と言っても米海軍における履歴のみで、一旦帳簿から落とされた後、米国の諸官庁(税関、NASANOAA等)や消防機になったもの、あるいは各国に売却されたもの(飛行不能だが部品として売却されたものもある)の履歴までは手を着けていません。残るはP-3C(UIII)のみ!

P-3に関しては、各国のマニアにより相当詳しく研究されてしますが、それでも把握しきれない部分があります。当初からCIA用に改造され、真っ黒に塗装されたものが、台湾の中華民国の国籍マークを付け、RB-69A(P2V-7ネプチューン哨戒機改造のCIA用の怪しい機体)の後継機として中華人民共和国相手に何やら怪しい行動をしていたことがあり、爆音低減のためプロペラを切り縮めたり、エンジンの排気口にシュラウドをつけて赤外線探知を防ぎ、翼下にはサイドワインダーAAMを装備して迎撃してきた戦闘機に対抗するなど、まことに怪しい出で立ち。その後一旦米国に戻り、電子情報収集機EP-3B(BATRACK)に改造されVQ-1に配属。厚木を基地として、北朝鮮に撃墜されたEC-121Mの後継機として極東方面で「密かに」活躍。よく見ると胴体後部左側のドアの開口部がやたらと広く、搭載機材の積み下ろしに便利な改造が。VQ-1VQ-2等電子情報収集を標榜している部隊で堂々と使用するなら、「立ち聞き、覗き見」とやってることは汚いが、それなりに素性も明らか。

が、もっと汚い奴がいる。P-3AP-3Bの機体を改造して怪しげな機材を積み込み、外見的には黒子(ほくろ)や痘痕(あばた)を外板に描いて一見P-3Cそっくりに化粧をし、塗装もP-3C使用部隊のものを使用し、機体番号は既に事故等で失われた機体のものをつけて、シラッとして「知られたくない仕事」に就いている。死んだ年寄に成りすまし年金を横取りする奴に似た行動だが、世界のマニアはこれを許さず、「死んだはずだよお富さんがいつ、どこそこにどんな装束で現れた」という情報がネット上を飛び交い、マニアの好奇心を煽った。写真をつぶさにみると胴体後部下面の50個ほどあるソノブイ投下口の穴は全て描かれたものだし、右舷後部の窓も描かれたもの。胴体から尾翼に張られたHFアンテナはP-3Cとは異なるし、携行すべきECMポッドも装着していない、等識別点を列挙した「手配書」が出回る事態に。所属部隊も元は太平洋艦隊のVP-4や大西洋艦隊のVP-26に属した「特殊分遣隊」、後にそれぞれVPU-2, VPU-1という新しい部隊に編制されたもの。こうなると本名は不明なるも、時期により異なる「源氏名」を使い分け、あちらの店で見かけたり、こちらの店でばったりお目にかかったり。そのうちに、航空管制のコールサインや何かでポロッと本名を名乗ってしまうなどの失態を航空無線の傍受を趣味としているマニアに尻尾をつかまれ、本名を焙り出されて「手配書」に載ることに。

これらの動きは私の年表上でもバッチリと押さえてある。時系列的に配置して他の事象と対比できる点では非常に面白いが、「怪しさ」に関してはマニア間では衆知の事実。新規性はない。が、コツコツ年表に書き加えていくと、新たに「こら!お前そんなところで何してる?」くノ一的な機体が明確に。焙り出すのは11機の徹底的履歴調査。これぞ年表作成の醍醐味。さてその「くノ一ども」だが捕えてみれば怪しいことばかり、まだ口を割らないので縛り上げて転がしてある。今は「裏」を取るのに忙しいが、そのうちに一枚一枚剥いで・・・。ムフフ。

ちょうどP-3が就役し始めたころに勃発したのが1962年のキューバ危機。まさに核兵器の飛び交う第3次世界大戦勃発寸前の状況で、周囲の大人が平和ボケでボーっと生きている環境で、高校生だった我々飛行機マニアが日本各地の米軍基地の緊張を直接肌で感じ、「えらいことになる!」と気を揉んでいた。まだソ連は原子力潜水艦をキューバ水域に展開する能力はなく、派遣したF(Foxtrot)級通常動力潜水艦(但し核魚雷を各艦2本ずつ搭載していたことが後日判明)はことごとく米海軍のP-3Aを含む対潜機・対潜水上艦艇に位置極限され、強制浮上させられる状況だったが、以後ソ連の潜水艦の建造は急速に進み、同時にP-3の生産はこれに対処するよう対潜水艦戦一本でP-3A, P-3A(DELTIC), P-3B, P-3C, P-3C(UI), P-3C(UII), P-3C(UII.5), P-3C(UIII)と進められた感がある。更に、初期に生産されたP-3A, P-3A(DELTIC), P-3BにはP-3Cで導入されたDIFAR を搭載してP-3A(DIFAR)P-3B(DIFAR)にアップグレードし、P-3B(DIFAR)は更に機上搭載コンピュータを換装してP-3B(TACNAVMOD)に改造してP-3Cと同等の対潜戦能力を備えるとともに、初期に生産されたP-3Cには改造を加えP-3C(UIII)レベルに能力を引き上げたP-3C(UIIIR)を配備。

日本がどの程度その目標となっていたのかは知る由もないが、ソ連の戦略弾道弾潜水艦は米本土の戦略目標に核攻撃を加えるために存在したわけで、米海軍は戦略弾道弾潜水艦の存在位置を常時把握しておき、有事には一隻残らず一気に殲滅しなければ米国本土は核攻撃でボコボコにされることになる。その意味でP-3は戦略対潜哨戒機と呼ぶべきもので、米本土防衛のための最先端兵器。

冷戦下においてP-3は電子戦情報収集機や開発用テストベッドなどごく一部の派生型はあったものの、派生型の種類も機数も少なかったが、1991年末冷戦が終結すると、ソ連海軍の潜水艦が世界中の海から消え、P-3部隊の根幹を成す対潜哨戒の目標がなくなり、多くの部隊が解隊され、残存していたP-3は、にわかに宗旨替えして各種の任務に就くことに。その結果既存の機体に様々な改造を加え多種多様なP-3派生機が出現、「どれが、いつ、どれになったん?」で魑魅魍魎状態。

装備の変更は外形に現れるが、「どこをどう揉んだらそんなに膨れるの?」てな突起が付いたり、「水泡」状のアンテナドームがあっちについたりこっちについたり・・・。韓国の整形手術やないけれど、生まれた時とは面影が変わって、「へぇ〜、そんな顔かたちになるんや!」という外形的変化を「成長」ととらえるか、「老化」と捉えるか・・・。幸いマニュアルが揃っているので、「P-3派生型の内容の違い」は何とか語れるが、時系列的変遷とその運用(使い方)については判然としない点も多い。

しか〜も、派生型を更に改装した派生機もかなりあって、ひっちゃかめっちゃか。何度も「整形手術を受けたような機体が相当数ある。生まれたままで一生を終えたP-3は数少ない。

しか〜も、一つの部隊に多種多用な派生機が同時に配属され「あんたの部隊は何してんのん?」という本職不明の萬屋(現代風に言えばコンビニ)状態。

しか〜も、冷戦時代にはある1機のP-3が配属以来10年以上同一の部隊で使用される(言い換えれば転勤無し、ただしオーバーホールごとに装備品は近代化)ことも多かったのに、冷戦終結後は尻が軽い。中には数か月〜半年で部隊から部隊に盥(たらい)回しと言うか、使いまわしと言うか、異動が多くて追跡する私にとっては「面倒くさくてタマらんわ!」状態。その中に「挙動不審」な配属が見えてくるのが好奇心をそそる。

しか〜も、冷戦末期からマニア情報による機体の運用を避けるためか、実戦配備にあるP-3は一様に淡い灰色一色のノッペラボー塗装となり、機体番号も脚を収納すれば外からは読めないようにノーズギア収納扉の内側に書くような気の配りよう。もっとも「これほど激しい転勤があると、いちいち部隊名やマーキングを描きなおしている暇はないわなぁ〜」と妙に納得。

が、しか〜し、衣装では見分けはつかなくても、ジロ〜っと視線をめぐらせば、「膨らみ」と「穴」の位置が微妙に異なり、「わかってんで〜あんたやろ。逃がせへんで〜」と我が好奇心は高まる一方。頑張ります!

山内 秀樹


完成機
堀 田 H-145 (1/50)
難 波 Anatra Ds Anasal (1/48)
難 波 Ponnier Type (1/48)
村 山 フェアリーファイアフライ (1/32)
西 条 ロッキード C-6 (1/50)
 製作途中
村 上 He-100 (1/32)
田 辺 フォードトライモーター (1/50)
田 中 (勝) MD F−4 ファントム K (1/40)
上 田 Yak 9 (1/50)
葛 城 F-100C (1/20)
村 山 シュペールエタンダール (1/32)
伊 藤 S−58 (1/50)
  櫟  川崎 P−1 (1/100)  
西 条  ピーチ S18 & (工房) (1/50)  
中 島  (工房) (/)  
田中(英郎)  (イラスト) (/)  
長 尾  スホーイ T−37 (1/48)